マドロスさぶちゃん

草木の住人に輝さんという人がいる。本名〇〇〇〇、御年81歳。今なお矍鑠としてその風貌は何処か南欧のオリーブ畑にでもいそうな雰囲気を持った人である。この人何が凄いかって・・・23歳の時に初めて静岡の街中「すみや」で買ったレコードが北島三郎の「マドロスさぶちゃん」であったとか。以来、自前の衣装、自前の振付で今なお踊り続けているのである。昭和14年が生まれと云うから、ほぼ北島三郎と同い年。片や演歌の大御所であり昭和の歌謡史に燦然と輝く存在にして、その芸歴55年の間に世に放ったヒット曲は数知れず・・・誰もが納得するところであることは言うまでもないが、たった1曲で55年間踊り続けるというのも大変なものに違いない。活動の場は年1回の地元梅ヶ島の初午祭と月2回程度のデイサービスへの慰問が中心だが、お呼びがかかれば何処へでも行くというからその1曲に掛ける輝さんの思いは並々ならぬものなのだろう。凡そ人は踊りが好きだとかまた歌が好きと言えばそこは1曲に留まらず2曲・3曲と当然レパートリーは多くを誇るものながら1曲を以てして十分とするところに僕は山家育ちの根の強さを感じずにはいられないのだ。山家にすんで2年以上になるが、此処では変わらないものはそのまま残り、変わっていくものは加速度を以て変わっていくのが今の現状である。10年もすれば限界集落の現実が迫っている。運命を共にする共同体は無くなり、都市部への人口流失だけが歯止めが利かないのは何も此処梅ヶ島に限ったことではない。大量生産・大量消費に支えられた時代に恩恵を受けた我々もそろそろ年金世代になりつつある。多くを求めず、多くを消費せず、限られたモノの中に多くの価値を見出す知恵こそが今一番求められているのではないだろうか。因みに輝さんの自前の衣装で白のマドロスズボンだけは23歳当時のままとのことである。

狸尚庵  亭主

けもの葬

先週の土曜日のことだ。
同僚の内野さんから「石川君、ちょっと来てくれ。何かデッカイいのが死んでるぞ!」という言葉に、僕は言われるまま内野さんの後を付いて行った。養殖場に入ってすぐムッとする草いきれに交じってひと際異様な腐乱臭に気づくと、内野さんは僕を敷地際のフェンスまで導く。恐る恐る内野さんの肩越しに問題のモノを覗くと、それは子牛大はあろうか、明らかに獣の死骸であった。ここ数日の猛暑で腐乱は激しく目視で何の獣かは判別し難いが、無数に蠢く蛆虫の間から僅かに見える折れ曲がった前脚は偶蹄類特有の二つに割れた爪であった。「これカモシカだよ」思わず確信は得たものの、次の瞬間処理の段取りを想像して二の句が出ない。内野さんは天然記念物だから役所に電話すれば持ってってくれると言うが、公道上の処理でもあるまいに、そう都合よくことが運ぶとも思えない。結局この日二人の出した結論は腐乱臭さへ無くなれば誰も気づかない訳だし、何よりも最悪なものに手を汚したくないという理由から、このまま誰にも言わず知らなかったを決め込むことであった。その後も幾度か養殖場に足を踏み入れる度に鼻を突く異臭を頭から振り払いながら何とかその日は過ごした。ところが折からの台風12号の接近に伴い夕方から風向きは俄かに変わり、山からの風に乗って異臭は駐車場まで鼻を突くようになってくる。これでは流石に従業員はおろか来場客にも判ってしまう。ただでさへ台風対策で生簀の管理に余念が無い筈なのに・・・僕の心は二重の重荷を抱え益々深みに沈んで行く。夜中に一度停電の中、生簀の見回りに来た時には風雨激しかったせいか異臭は感じないままに自宅に帰ったが、その日は結局まんじりともせず朝を迎えたのである。今日はいよいよ天候の回復を待って死骸の処理をしようと心に決めて出勤すると・・・。内野さんの弾んだ声で「石川さんカモシカ無くなってるぞ!」「ええっ!本当?」と更に弾んだ声で訊き返した。確かに昨日在った筈の死骸は跡形もなく消えておりその場を示すように僅かの獣毛が残っているだけである。見てもいないが状況はすぐ察しがついた。あの台風のさなか、森の住人たちが代わる代わる来ては食べ尽くし、軽くなったところで何処かに持ち去っていったに違いないのだ。熊、猪、キツネ、タヌキ、テン、ハクビシン、ありとあらゆる森の住人達と此処ではしておこう。生きとし生けるものの死というごくありふれた自然界の出来事を彼らは食べ尽くすという送り方で葬ったのである。これ程厳粛で合理的な葬送があるだろうか。死骸をこれ以上無い汚辱なモノと受けとめ始末に心悩ましていた自分にガツーンと何処からか鉄槌の一撃を食らった思いがした。嵐の一夜、愚かな人間たちの寝静まった森の中で饗宴と葬送を繰り広げ、台風一過と共に全てを綺麗にしていった彼らに自然の摂理を教えられた思いである。

狸尚庵 亭主

草木

草木は小さな集落である。

南西に穿つタチ沢の沢筋に沿って若干開けたる外は、ほぼ四方が山に囲まれた小さな集落だ。

かつては十六世帯が生活していたと聞くが、今では五世帯のみ。

なかでも県道から入ること約1㎞、林道のほぼ最深部に草庵(狸尚庵)はある。

二千坪ほどはあろうか、緩やかな傾斜地に、現在は三世帯のみが屋根を寄せ合うように生活している。

 

先日其処に埼玉県の或る航空会社が空撮写真を売り込みに来た。

一枚も売れなかったと記憶している。

何も二万円という金額ばかりが理由ではないのは明白だ。

山家暮らしは誇ることがないのである。

自分の家が映っていようがいまいが、関係ないのだ。

作物の生育は比べても、他人と自分を比べる意味が全くないのである。

偶然に生やした草木の根子のようなもので、何年も何年も其処に営々と生きるだけなのである。

私は・・・

「今の時代、グーグルアースやドローンというものがあるのに、何故二万円出して買わにゃならんのか」というのが理由であったが、・・・しばらくして、自分の断り文句の薄っぺらさに恥じた。

 

五十年余りの都会生活で私は消費ばかりを人と競ってきた気がする。

人より多くを消費すればするほど快適さを得られるのが都会生活であった。

 

今、三軒だけの草木の地で私自身にも小さな小さな根子が生え始めたことに無上の喜びを感じている。

 

“梅雨寒の山を低しと峪の底”

狸尚庵 亭主

殺鼠剤

小生、昭和35年、子歳生まれにして大のネズミ嫌いである。

だから殺鼠剤だけは常備薬同様、欠かさずに備え置いている。

今年も三月の彼岸を過ぎたあたりから、吾が草庵にも度々出没するに至り、以下のお札を掲げだした。

御札

チュー太郎一味。

右の者、当家出入禁止を申し告ぐるもの也。

狸尚庵 亭主

 

効き目は全く無い。

今年も殺鼠剤を既に5箱費やしているが、入れ替わり立ち替わり、いろんな家族が出入りしているようで、未だ十分な効果は感じ得ずにいる。

吾が草庵は大正九年の建築である。

従って基礎は無く、縁の下がそのまま戸外と繋がった構造を呈しているため、獣たちは自由奔放に床下を往来している訳だ。

寝ている時など、よく床下を何かが動き回っている気配を度々感じているから間違えはない。

一度、ビックリした経験がある。

生来の寝相の悪さから、就寝中よく大口を開けて寝ている。そのため涎を垂らす癖が未だにあり、普通の枕カバーは使用せず、バスタオルを巻くことにしている訳だが・・・、何と朝起きてみると、ズレ込んだバスタオルの窪みに、殺鼠剤のあのピンクの粒々が口先三寸余りのところに五粒ほど置いてあったのだ。

驚愕の余り、凍り付いたことを覚えている。

しかしこれも時間の問題と最近は動じずにいるから経験は恐ろしい。

気配を感じてか、それを捕食する別の獣が出入りしだすのである。

タヌキか?ハクビシンか?キツネか?・・・明らかにネズミより大型の獣が出入りしだすとたちまちネズミは姿を消すのである。

一度朝早くに床下から出ていくタヌキを見たから間違いない。

ネズミ嫌いの主人には正に

“御札に勝るタヌキ様”である。

以来、吾が草庵を狸尚庵と号した次第だ。

 

“殺鼠剤仕舞ひ忘れて梅雨入かな”

狸尚庵 亭主

ヤマメ日記

昨日静岡県下は梅雨に入った。

平年より3日遅い梅雨入りだそうだ。

梅ヶ島はかつての駿河の国というよりむしろ甲斐の国に似た気候風土を持っている。

太平洋の湿った空気を受けながらも、上空の寒気にしばしば影響され荒天に晒される。

ヤマメの管理で一番気を遣うのが水である。

エサなど一日二日遣らずとも何ともないが、半日の水の濁りでヤマメは大量死に至る。

この梅雨の時期と秋の台風シーズンはヤマメを管理する者にとって、気を許せない時期となる。

 

夜、夜中、突如としてケータイに防災情報が入る。

「静岡市葵区強雨36mm/h」・・・最も悩む時だ。

「行こうか、寝ちゃおうか・・・」

時間雨量40mmを超えれば、自分の中で見に行くことに決めているからだ。

「まあ大丈夫だろう・・・」、としばらくは布団の中にいるが、もう寝付けない。

止むに止まれず、一念発起して見に行くのである。

「魚魚の里」がある日影沢は拙宅から車で5分。決して遠くはないが、その間が真っ暗闇である。

山間部の夜は街中と違い、闇と言ったら本当の闇だから人の目では何も見えない。

ヘッドライトの照らす僅かな視界だけに異様な“モノ”がいるんじゃないかという思いについつい車の後部座席に目をやってしまう。

「武田の落武者・・・?」、「金堀衆の悲痛な呻き・・・?」、大人になっても怖いものは怖いのだ。

そうこうして着いてみれば、生簀は多少の濁りで済んでいた。

昨年孵化した稚魚にも影響はなく、しばらく様子をみて家に戻る。

 

翌朝、再び来てみると道路わきに一匹のハクビシンが死んでいる。

昨夜の豪雨を心配して見に来た親方が車で引掻けたものだ。

ヤマメに異常は無かったものの、一匹のハクビシンの事故死がこの度の豪雨の残した傷跡となった。

 

 

 

 

ヤマメ親父の戯言

今朝の水温11°C。

ヤマメの養殖をしていると毎日の気温・水温を確認するのが朝一番の日課である。

八十八夜をとうに過ぎたにしても山の水はまだ冷たい。

しかし冬場の1°C、2°C、ややもすると結氷する0°C以下を思い起こせばヤマメ達にとってはこの上ない快適な水温なのかもしれない。

そのせいか今朝も食欲旺盛!ほぼバケツ1杯分の飼料を平らげてもまだ「呉れ~」と寄ってくる。

「コイツ等、カワイーとこあるじゃん?」と思ったりもするが、結構やることはエゲツナイ。

平気で共食いをするのである。

弱そうなヤツを見つけては、尻尾から噛みつき、丸呑みしだす。

食われる方も必死なのか、餌遣りが少ない生簀では決まって2~3匹が尻尾無しで泳いでたりもする。

平和な山村の一角で常に弱肉強食が行われているのが生き物の世界だ。

山間部の生簀だけあって時には間抜けな闖入者も来る。・・・タヌキだ。

ヤマメ喰いたさに生簀に入ったものの這い出せずに力尽き、溺れ死んだもの数知れず。

“当人”にしては気の毒極まりないが、始末する方にしてみれば堪らない。

「いい加減にせーや!!」と言いたい位だ。

養殖の仕事をしだして一年半。都会育ちの小生もいくらか逞しくなり、

今ではそんな不幸な犠牲者の始末にも難なくこなすほどに慣れたものだ。

「慣れって恐ろしいな~」

現在、魚魚の里では釣池に約300㎏(4,000匹強)の生簀卒業生が泳いでいる。

皆釣池新入生のため、まだおバカさんばかりで、人が来ると餌もらえるとばかりに寄って来る。

だから当分は釣れないで困るといったことは無さそうだ。(やれやれ)

・・・・と、戯れ言を言ってるうちに、そろそろ昼の餌遣りの時間が来た・・・。。

 

 

春惜しむ

梅ヶ島に来て一年半になる。

当初は不便さに新鮮味を感じていたが、今はこれが当たり前になってきた。

もう東京には戻りたくない。

長男という立場上、墓参を兼ねた寺挨拶に年三度ほど上京しているが、あの人と車の多さには何か身体中の“ネジ”という“ネジ”が締め付けられてもう耐えられない。

『住めば都』という言葉がある。『人間(じんかん)至る所青山あり』といった言葉もある。

またある人は『人生は穴から穴への一人旅』とも言った。どれも言い当てて妙だ。

時間を得て、人はものを考えるようになる。来し方を振り返れば考えるいとまさへなく五十年が早過ぎていた。

寝て起きて食べながら適当に仕事などしてまた寝る。こうした当たり前のことで一日が過ぎていく毎日・・・。

必然と“老い”と“死”を考えるようになってきた。

『生』が偶然なら、『死』は必然である。

今、目にしている遠山の姿もおそらくは数万年前と左程に変わってないことだろう。

この一瞬を生きる生き物達の息遣いが愛おしく輝く時だ。

視界に鳶が舞っている。

そう云えば先週庭に植え替えた碇草は根を付けただろうか。ふとそんなことを考えた。

 

“往く雲の山を離れて惜しむ春”

狸尚庵 亭主

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